少年の目覚めは唐突で、そして悲しみに満ちていた。
彼が創造されて最初に植えつけられた本能が告げている。
『護るべき存在の喪失』と『警戒すべき敵の存在』を本能が声高に叫び、彼は途方に暮れた。
「何故、どうして、俺は守れなかった…?」
自問自答の声が低く室内に拡散し、消えてゆく。
そこで初めて、少年は自分を取り囲む状況の異質さに気付く。
整えられた室内と清潔感のある寝台。
柔らかな香りの夜着と室外から発せられている威圧感。
それらを瞬時に脳内の記録回路に叩き込み、気配を殺して寝台からそっと離れる。
室外から発せられる威圧感は彼にとっては児戯に等しく、警戒すべき敵が発するモノとは比べ物にならない。
ならば何故、自分は警戒しているのか?
そこまで考えた所で脳裏に蒼い光が翻る。
蒼い、蒼天の輝きを宿した瞳と、それを持つ少女の面影。
在り得ない筈の存在に記憶が刺激される。
あれと同じ眼を持つ一族に、あれ程脆弱な存在は在ってはならない。
彼の永い生の中で、そんなものは存在していなかった。
だからこそ、不安と焦燥が募る。
「青の一族に、女など…」
記憶を辿り、その果てに掘り返された情報に彼の表情が強張り、脳裏に警鐘が鳴り響く。
『あの少女は在ってはならない存在であり、抹消しなければならない』
自分に課せられた務めとしてそれを為さねばならない。
相手がどれ程不確定要素を抱えていようと、彼の創造主がそれを求めたのは遠い日の事だ。
「在ってはならない…」
「何が?」
気配などなかった。
いくら思考の海に沈んでいたとは言え、他者の気配を読み損ねるなどありはしない。
確かに、気配がしなかったのだ。
だが、薄く開けられた扉から青い瞳が覗き、その背後からは鋭い黒瞳が射抜くように注がれている。
その視線を遮るように、少女は室内に滑り込むとそっと、その扉を閉ざす。
「何が、在ってはならないの?」
無邪気な少女の顔で問うが、その青い眼は全てを見透かすように、嘘など許さないと言うように、少年から逸らされる事はない。
「ここは、どこだ…?あんたは?」
応えを返さず、問いを持って少女と相対した彼は、懐かしさを覚える。
存在するべきではない少女から、失われた過去に見た輝きを感じられる。
「ここは私のお家です。まず、貴方のお名前は?」
「…ジャン」
暫しの睨みあいの末、少女の笑顔に敗北した少年は歯の隙間から絞り出すように発し、警戒を解かぬまま半歩、右足をずらす。
どんな攻撃にも対処できるようにと言う、無意識の行動だった。
「ジャンね。私は、貴方、庭園に倒れていたの。覚えている?」
「いや…。何故、俺を助けた?」
「困っている時はお互い様って、言うでしょ?」
クスクスと少女特有の笑みを浮かべるに、ジャンの警戒色は強まり、不安が募る。
「では、質問を変える。あんたは、青の一族の関係者か?」
そう問うた瞬間、の笑みは凍りつき、温度の感じられない瞳が煌きを増したように見えた。
「そう言う貴方は、赤の一族?でも、赤の一族ってもう滅亡してるって、お父様が仰ってたわ?」
その言葉を聞いた瞬間、ジャンは跳躍しから大きく距離を取る。
「何故だ…。青の一族に女は生まれない。なのに何故、あんたは…」
「秘石眼を持つのか?そんなの、私だって知らないわ。ただ、私は産まれて、生きている」
陰りを帯びた青い瞳が揺らめき、その揺らめきがジャンの記憶を更に刺激する。
一度だけ漏れ聞いた秘石の話。
『青の一族に女が産まれたならば、それは奇蹟であり災厄である』
誰にとっての奇蹟で誰にとっての災厄か、それを聞いた日、ジャンは途方に暮れた。
「ね、ジャン?貴方、私の事、知っているの?」
警戒を続けるジャンを後目に、睨み合いに飽いたが軽い足取りで申し訳程度に用意されているテーブルセットに歩み寄る。
「…あの夢は、ただの夢?」
主語を持たない問いに、ジャンは嘆息し警戒の一部を解く。
縋るように彼を見つめるは助けを求める幼子のようで、これ以上の警戒が馬鹿らしくなる。
「あんた、身内は?」
「…双子の兄と弟が3人。別の場所で暮らしているわ」
直ぐにはの問いに答えようとしないジャンに僅かに唇を尖らせ、それでも素直に語る姿はまるで彼を疑っていないように見える。
「正解だな。あんた、もう兄弟の傍に戻らない方がいい」
「どうして?!どうしてそんな事、言うの?!」
弾かれたように顔を跳ね上げ、ジャンに掴みかかる少女の手は小さく、あまりにも儚い。
「青の一族の女は、贄だ。最も血の濃い者を狂わせ、そいつの種を孕む。産まれた存在は…強すぎる力で全てを滅ぼす」
衝撃的すぎるジャンの言葉はを打ちのめし、力無く崩れ落ちる。
「あれは夢だって言って…悪い夢だって。また、一緒に暮らせるようになるよねぇ…?」
泣き崩れ、嗚咽と共に吐き出された悲鳴は細く、ジャンの中でこの少女が『危険な存在』ではなく、『護るべき新たなる存在』へと書き換えられる。
彼女の兄弟親族、全てから守ろうとこの時、護るべき存在を失った番人は誓った。
長くて短い幼い友情の始まりだった。