苦しくて苦しくて、大丈夫だって笑うことももう苦しかった

「もー!遅いよ、皆!」
 陽光が降り注ぐサンルームを抜け、咲き乱れる桜の樹に視線を奪われる一同に、グンマの拗ねたような声がかけられる。
一際大ぶりな樹の下に設えられた宴の席は、マジック達兄弟の記憶を遠い過去へと引き戻す事に成功している。
アンティークのテーブルと、華奢な椅子、繊細なティーセットと山と用意された食事。
それらを彩るように舞い散る花弁。
全てが幼い日に父と共に合った事を思い出させる。
「うっせぇよ。なんにもしてない奴が偉そうに喚くな」
 乱暴極まりないシンタローの言葉を皮切りに、ぎゃんぎゃんと一気に喧騒が沸き起こる。
グンマに加勢する高松、それを興味深げに観察するキンタロー、咥え煙草のままワインボトル片手に人の悪い笑みを浮かべるハーレムと我関せずとジャンにティーセットを準備させるサービス。
自分の肩を抱いたままの双子の兄を見上げ、はその表情が安堵に満ちている事に幸福感を覚えた。
「どうした?」
「幸せね。ルーザーとパーパがいないのが哀しいけれど、でも、幸せ」
 

 賑やかな食事も一段落つき、それぞれがグラスを手に談笑している光景は平和そのものであり、時折漏れ聞こえる諍いの声すら温かさを持っている。
そんな空間にありながら、マジックと彼の肩に凭れるように座るの表情からは刻一刻と笑顔が失われていく。
 最初にそれに気がついたのはジャンであったが、彼はこればかりは避けては通れないと嘆息し、行儀悪く頬杖をついて2人の挙動を観察し始める。
次いでそんなジャンの様子に気がついたサービスが彼の視線を追い、瞬時に不安に彩られた表情で沈黙する。
連鎖反応のように1人、また1人と双子の兄妹に視線を集め、ある者は眉を顰め、ある者は不安と困惑を宿しておろおろと無意味な行動を取り始めた。
「私、言わなければいけない事があるの…」
「私も、だな」
「先に、言ってもいい?」
 囁き合うように交わす会話は、それでも静まり返った庭園内では遮るものも無く、全員の耳に届く。
の問いに、マジックが静かに首肯すると、泣き笑いのような酷く儚い表情で握りしめたグラスを見詰め、静かに語り始める。
それは、青の一族に与えられた呪いが如何に残酷で、力を求める無情の存在であるかという苦痛を伴う告白だった。



「私、自分が大人になれない事は知ってたわ。パーパがまだ居た頃、お医者様も言われたから。でも、それでも限界まで皆といようって思ってたの。1人になって、笑い方も忘れそうになった頃、ジャンに出会ったのよね?」
 思い出すように、小さく口元に笑みを刻んでたった1人の友達を見遣り、『おう』と言う応えが返ると、満足そうに首肯し、再びグラスに視線を戻す。
ゆらゆらと揺れる水面に映る自分の不安げな顔に眉を顰め、肩を竦めるとペロリと唇を湿らせる。
「ジャンは長年、赤の秘石の番人をしてたけど、青の一族に女の子がいるなんて見た事が無いって言ったわ。青の一族は呪われてて、それでも力を求め続けるから、バランスを取る為に男の子しか産まれないんですって」
 纏め切れていない言葉の切れ端に男達は揃って首を傾げ、本人は言い淀むように唇を噛む。
全てを知るジャンだからこそ、彼女の葛藤が手に取るように解る。
未だ世間知らずな少女でしかないに、年長の男達を前にそれを口にしろと言う方が酷だろう。
、その続き、俺が言うよ。お前の口からあんな言葉聞いたら、パニックが起こりそうだ」
 苦笑しながら助け船を出したジャンに、ライラの縋るような視線が向けられる。
実際の所、が関係している以上、確実にパニックどころか阿鼻叫喚だろう。
「『万が一、青の一族に女が産まれた時は早急に葬るべし。これは強大な力の渦を生み出し、世界その物を崩壊させる災厄となる』遥か昔、一度だけそう警告された事がある。最も血の近い者と結びつき、子を為す。それは全てを滅ぼす。だからそうなる前に殺せと言われた。だが、を知った俺には出来なかったし、最悪の事態を招く前にがお前達から離されていてよかったとも思った。このまま二度と、お前達兄弟と逢わなければ良いとも思ってた」
 ジャンの静かな声に、男達は息を飲み、驚愕のままとマジックへと視線を走らせる。
自身は既に自分の中で噛み砕いて受け入れていた内容だけに、視線を上げる事は無いが、マジックは初めて知る話に蒼の眼を瞠り、自分に寄り添う妹を凝視する。
双子であるこの2人がもし、変わる事無く共にあり、性に目覚めていたら?
家族への愛が歪な形に変化し、全てを崩壊させていたら?
サービスとハーレムも、成長してその危険を孕んでいたら?
この優しい姉を欲望の対象とする?
寒気のする仮定に誰一人として、二の句が継げない。
が目覚めたのが、お前達に分別と理性が育ち切った今で良かったと本気で思うよ。思春期ってのが、一番ヤバいからなぁ」
 シリアスな雰囲気を一転、からりと笑うジャンに複数の殺意に満ちた視線が飛ぶ。
それでも肩を寄せ合う双子の兄妹の姿に、もうそんな忌まわしい呪縛に惑わされる事は無いだろうと笑みが浮かぶのだ。
「もう、1人で苦しませはしないよ。私達はずっと一緒だ」
「約束ね?私も今度こそ守るわ。逃げて、怯えて閉じこもるのはやめるわ。あんな寂しくて笑うのが苦しいのはもう嫌。だから、絶対に守るわ」
 強い決意の色を浮かべる瞳にマジックも微笑み、次いで嘆息する。
が心を決め、1人で抱え苦しんでいたその姿を曝したのだ。
自分も、覚悟を決めなければならない。
「私は、楽な方に逃げたんだ。幸せの象徴だったが危険に晒されるよりはと、遠ざけここに隔離した」
 武骨なガンマ団本部とは違う、優美な佇まいの別荘を見上げ、ここは外見を取り繕った牢獄だと自嘲する。
を喪って初めて、私は自分の過ちを知った。だが、それを認めるには私は子供だった。何故、私に助けを求めなかったのかと罵りもした。なのに、私は再び過ちを犯したんだ。コタローが、息子が両目に秘石眼を宿していると知って、幽閉した。守る為だと自分すら騙して、楽になろうとしていたんだ」
 いっそ淡々と語るマジックは無表情で、この青の一族の当主には感情が欠落しているのではないかと思わせるほどに、その眼には何も映っていない。
だが、ただ1人がそんな彼の眼に生気を取り戻させた。
双子の兄の頭を自分の肩に引き寄せ、自分とは手触りの異なる金色の髪を梳く。
「マジックは家族が大好きだから、守りたかっただけよね。子供の頃から、ちょーっと、方向性が間違ってる事あったけれど、結局はそう言う事じゃない?だから…」
 自分の肩口に縋るように顔を伏せる兄の顔を頬に手を添えて、そっと持ち上げる。
そこにある青い眼には不安と悔恨と苦痛が小波のように揺れている。
「だから、守ってくれてありがとう」
 微笑みと共に、マジックの鼻先に軽いリップノイズが生まれる。
一瞬呆けたマジックも、幼いころの習慣に習っての目尻に軽いリップノイズを立てる。
笑みを交わし合う双子の兄妹に、呆れたような、脱力したような生温い視線が突き刺さる。

「甘ったるすぎだぞ!お前らぁぁぁぁぁ!!!」
 響き渡るジャンの絶叫に、ライラの快活な笑い声が弾けた。