プロローグ・3

 ゆったりとした覚醒は、次の瞬間、視界一杯に広がる真白い天井に取って代わられた。
そこで軽い混乱が彼女の脳裏を支配する。
自室以外の、見覚えのない部屋でありながら、調度類は見間違いようもなく、自分の物だ。
一部、彼女の趣味からはかけ離れた、怖ろしく乙女チックな物も視界に入りはしたが、それは敢えて見なかった事にする。
「ここ、どこ…?」
「貴女の部屋ですよ。おはようございます、様」
 小さく呟いた疑問に返された応えに驚き、首だけをそちらに向けるとそこには黒髪黒眼の東洋人の姿。
年齢的には中年と言って差し支えないのだろうが、世間一般の美形レベルを軽く飛び越えた容姿の、が知らない筈の人間がいる。
「貴方、サービスの、お友達…」
「驚きましたね…どこまでご存じなんです?」
「…あれが、ただの夢じゃないなら、大対…貴方の、お名前は?」
 淡々と、感情の混じらない冷たい会話は、男の胸を抉る。
「高松と申します。様の主治医ですよ」
 高松にとって、彼女は少年の頃から見守ってきた存在だった。
彼女が眠るスリープカプセルに掛けられたロックを外そうと躍起になっているルーザーを彼も手伝い、そしてルーザー亡き後は高松が受け継いだのだ。
 眠り姫の目覚めなど、彼は信じていなかった。
だが、彼が『変化なし』と報告する度、彼女の兄弟達が浮かべる安堵と落胆。
その均衡を保つ為だけに、彼は見守り続けた。
それが今、彼の前で目覚め、その感情の宿らない蒼い視線で攻め立てる。
「ドクター、私、どの位寝ていたんですか?」
 一番言い辛い、出来る事ならば自分の口から知らせる事は避けたかった問いに、高松は逡巡し、逸らされる事のない瞳の前に敗北を確信した。
「…32年です」
「そう…。ドクター、皆の所に連れて行って下さいませんか?」
 静かに、だが拒絶を許さない声でそう発したは、無言で高松を見上げる。
「貴女が行かなくても呼べば来ますよ。昨日から全員集まってるんですから」
「…ドクター?私、連れて行って頂きたいんです」
 首を傾げるように、再度繰り返す彼女と暫し睨みあった高松は、彼女もまた青の一族直系である事を認識した。
一度言い出したら何があろうと絶対に自説を曲げない。
意志が固いと言うよりも、ひたすら頑固な一族の性質を彼女もまた、余す事無く受け継いでいるようである。


 生憎と車椅子などと言う物を用意していなかった高松は、長い眠りから覚めたばかりで自分で立つ事もままならないを抱えて歩くと言う選択肢を否応なく選ばさせられていた。
「ごめんなさい、ドクター。私、立てないとは思わなかったの」
「構いませんよ。予想して然るべき事態です。こちらの準備不足でしたね」
 紳士然とした振舞い、世間一般の基準を軽く飛び越えた容姿、医者であるにも関わらず、鍛えられている事が判る身体。
それらを素早く掴み取り、は心中で嘆息した。
『ガンマ団は容姿も入団審査の対象になる』などと囁かれていたのは彼女にとって、そう遠い昔ではないのだ。
「こちらに集まっていますよ」
 低い声に促され物思いから浮上すると、見慣れた重厚な扉が聳えている。
記憶にあるよりも幾分年季が入り、重厚感が増している。
「失礼しますよ。様がお目覚めになりました」
 片腕でを支えたままノックをすると言う、器用な真似をしながら高松はその扉を開け放つ。
彼の声で喜色を浮かべながらソファから立ち上がったハーレムが静止し、それは室内の男達全員に万遍無く伝搬する。
「高松…姉さんはまだ、休んでいるべきなんじゃないのか?」
 サービスの言葉も尤もだが、それを気にする彼ではない。
腕に抱いたままのを空いたソファに落ち着かせ、彼女の背後に立つようにして一同を見渡す。
その間、渦中のは無言を貫いている。
「姉・貴…?」
 無言に耐えかね、呻くように発したハーレムに視線を合わせ、そのまま順に男達の顔を見回してゆく。
視線がシンタローの上で僅かな停滞を見せ、そのまま不安げな面持ちのままで見詰めているマジックに据えられた。
「マジック…どうしよう…っ」
「どっ・どうした?!何か…!?」
 大きな目を更に大きくしながらマジックに声をかけた双子の片割れに彼は慌て、ソファに駆け寄る。
その手を取りながらは正面からマジックを見据え、喜色を浮かべた。
「どうしよう!ハーレムったら、パーパそっくりだわ!サービスもすっごい美人さんね!」
 興奮気味に訴えるにマジックは脱力し、久方ぶりのテンションに笑みがこぼれる。
今も昔も、彼の双子の妹はそうだった。
おっとりしていながら豪胆で、全ての事象をあるがままに受け入れる。
青の一族の強靭な精神を体現したかのような人だった。
「ああ、ああ。二人とも、大きくなっただろう?それに、君に紹介したい家族がまだ沢山いるんだ」
「早く!誰が誰なの?」
 まるで新しい玩具を与えられた子供のような様子のの言葉に、ジャンが首を傾げた。
目覚めて間もないは何と言っていた?
『夢で見ていた』と言ったのではなかったか?
 訝しげにそれを問うと、彼女は小首を傾げ金色の髪が流れ落ちる。
「見たわ。でも、覚えてないもの」
「覚えてないって…」
「夢って、細かい所は忘れちゃうでしょう?」
 然も当然とばかりにのたまったは、再び見知らぬ男達に視線を向ける。
初対面の、それも明らかに自分たちよりも年下の少女なのだが、叔母であると言われ、困惑が隠しきれない。
「黒髪の子がシンタローでこちらの金髪の子がグンマ、私の息子達だ。それから、そこにいるのがキンタロー、ルーザーの息子だよ。それと、今は眠っているがコタローという息子もいるんだ」
「素敵!シンタローさんはマジック似なのね!」
「そうかい?」
「ええ!キンタローさんはルーザーにそっくりだし。ああ!私、グンマさんに似てない?」
 一人一人を満面の笑みで見渡していたがグンマに視線を据え、更に大きく笑みを浮かべた。
…グンマが君に似てるんだよ」
「あ、そう言えばそうね…。なんだか慣れないわ…。目が覚めたら熟女でした、なんて…」
「…姉貴程その言葉が似合わない人間もいねぇと思うぞ?」
 の天然魚雷に一同が言葉を失い、いち早く復活したジャンは身体を二つ折りにして笑い転げている。
その声をBGMにハーレムが突っ込むが、には意味が通じなかった。
首を傾げてきょとんと見上げる表情は小動物を連想させる。
「姉貴、鏡、見ろ」
「鏡…?なんで?!」
 鏡と言われサービスから差し出された鏡を覗き込み、驚愕に目を見張る。
自分はマジックと双子の兄妹であり、当然彼と同じ年である。
そのマジックが麗しのナイスミドルになっているのだ、彼女も同じはずである。
だからこその熟女発言だったのだが、それが根底から覆された。
「ジャン!どう言う事?!」
「…仮死状態っつーか、冷凍睡眠状態だったんだよ…。んで、起こすのすこーし遅くなったし」
「少し…?ドクター?先ほど、32年眠ってたと仰いませんでした?」
「言いましたねぇ」
 ダラダラと冷や汗を流しながら口の中で言い訳を続けるジャンに冷たい視線を投げ、次いで背後に立つ高松に問う。
勿論、視線はジャンから一瞬たりとも逸らさない。
「ジャンってそう言えば、歳、取らないのよね?30年なんてあっという間なのかしら?」
「ワザとじゃねーぞ!ちょっと出かけて戻ったらお前運び出されてるし、本部は警備厳重すぎて近づけねーし!内部からと思って士官学校入ったら…」
「うっかり死んじゃった訳ね…?」
 冷たい一言で言葉に詰まったジャンに嘆息し、諦めたように肩を竦めたは改めてマジックを見つめ、苦笑を浮かべる。
「私、マジックの子供を名乗らないとダメかしら?」
 見当はずれな発言も昔のままである事を披露し、が覚醒して初めて、その場に和やかな空気が流れたのだった。