想い出と呼ぶにはまだ早い

「お花見に行きたいの」
 なんの前触れも無く、夕食後のティーブレイク中にそうのたまった少女は、吸い込まれそうな程青い瞳で、隣で優美にカップを傾けている中年の男に縋るような視線を投げかける。
考えるまでもなくマジックとである。
「おねだりする女子高生と援助交際してる中年オヤジみたいだ…」
 思わず小さく呟いたシンタローにグンマが同意を示し、キンタローは興味深い様子で見入っている。
見入っていると言うよりも、観察している。
「どうしたんだい?突然だな」
 ゆっくりとカップを下したマジックが首を傾げると、も同じようにして首を傾げる。
この双子、妙な所でそっくりな仕草をよく見せる。
「さっきね、ニュースでF区の桜が見頃ですって言っていたの。小さい時、よく行ったじゃない?年に一回、パーパも一緒に」
「そう言えばそうだったね…。久しぶりに、いいかもしれないな」
 一瞬、考えるように顎に指を添えたマジックは、次の瞬間には首肯しの満面の笑みを引き出す事に成功する。
 父が存命で兄弟全員が揃っていた頃、毎年忙しい中、無理に休みを捻り出した父と弟達と共に、F区の別荘で花見をしたものだ。
だが、マジックは花見に同意はしても、F区に近づくのはいい気がせず、別の別荘を手配しようと受話器を取り上げた瞬間、の声にその手が止まる。
「F区の別荘の桜は本当に素敵なんですよ!庭師のフォードの手入れは職人技なんですって!」
 はしゃいでシンタローらに向き合っているは背後のマジックの様子が緊張した事に気付かず、矢継ぎ早に見所を数え上げてゆく。
 それまで穏やかな笑みを浮かべていたマジックの表情が消えた瞬間を、グンマは不安な面持ちで見つめていた。
この愛らしい少女の姿をした叔母と共にある時、マジックは一度も笑みを崩した事はない。
それが今、脆くも崩れ去り深い傷を負ったような表情をしているのだ。
…。F区で無くともいいだろう?別の場所の…」
「マジック?」
「あそこは、君が…」
「『私達は過去と向き合わなければならない』って言ったの、マジックよね?」
「それは、そうだが…」
「でも、実際は皆が過去を避けてる。ルーザーの事も、私の事も。だからハーレムもサービスもあんまりここにいなんじゃないかしら?」
 ちがう?と問うように首を傾げるは、真直ぐな瞳を逸らす事無くマジックを射抜く。
「あそこが、私達の過去だと思わない?」
 の強い意志を感じさせる視線はマジックに突き刺さり、次の言葉を奪う。
常にないマジックの様子は息子達の不安を掻き立てる。
先程までの穏やかな空気は一変し、シンタローが視線を鋭くする。
さん、どう言う事か…」
「F区の別荘は私が14歳の時から住んでいたんです」
 それだけで全てを察しろとばかりに言い切ったは、静かにマジックの傍に立つと、年を経て精悍さの増した頬に細い指を滑らせ、俯いた視線を自分と無理に合させる。
「お花見はF区の別荘で決行するわ。家族みんなで、ね?」
…」
「そうと決まったら急いでお部屋の準備をしてもらわなくちゃ!管理人は誰?」
 往生際悪く口を開こうとしたマジックを遮り、楽しげな笑みを浮かべたは、問いながら連絡しろとばかりにマジックが手放した受話器を再び握らせる。
「ハーレムとサービスにもすぐ連絡しなくちゃ。あ、あと、シンタローさん達も休暇ですからね?」
 歌うように語りかけるに頷きかけたシンタローは一瞬、その言葉を脳内で咀嚼し、次いで嘆息する。
「俺は無理ですよ」
「無理じゃありませんよ」
 言い切ったに、シンタローが何と言って諦めさせようか考えている脇では、グンマがライラと共にはしゃぎ出し、キンタローも初めての花見に興味を示し始めている。
さん、俺には仕事がある。休暇なんて暫くは無理だ」
「認めません」
「…っ」
 シンタローの言い分を一切聞き入れないに、叔父のハーレムに通じる我儘っぷりを見出し、怒りが湧いてくる。
「シンタローさん、我が家のお花見は家族総出って決まってるんです。総帥だろうが大統領だろうが、これは絶対なんです」
 再び言い切ったと視線を合わせたシンタローは、久方ぶりに『絶対的な敗北』を喫した事を悟った。
 言葉を飲み込んだシンタローの様子を承諾したと受け取ったは、軽やかな足取りで弟達を強制的に呼び戻す為にリビングを後にしたのだった。
「お父様…さんが言ってたのって…」
「つーか、甘やかし過ぎだろ、あれ」
 の視線から解放されたシンタローが嘆息し、父であるマジックを半眼で睨む。
ハーレムの我儘と傍若無人ぶりを可愛らしい外見で包んだらになるのではないだろうか?
そんな考えがシンタローの脳裏に過る。
不吉などと言うレベルではない。
「甘やかしてなどいないよ。が言った事は事実だ。F区の別荘には私達家族の過去がある。私が知るものと、が隠している何かが…」
「どう言う事だ?」
 それまで、口を開く事無く周囲の人間の観察を続けていたキンタローが初めて問い、マジックに回答を促す。
「…私が総帥になって1年ほど経った頃だ。それまで私達兄弟の中心で家族を守っていたを、私は保護の名目で本部から追いやったんだ。それまで一度として耳を傾けた事のない、家族以外の言葉に乗せられてな…」
 沈痛な表情を浮かべるマジックは静かに語り、懺悔のように息子達に視線を走らせる。
「あの別荘では家族から引き離されて過ごし、秘石眼の重圧に蝕まれて倒れた。私は、が苦しんでいる時に自分だけが辛いのだと思い違いをしていたんだ。それが、私の過ちであり、私達家族の喪失の始まりだったんだ」
 悲しげにそう語るマジックは、物憂げに天井を見上げてから正面を向き、最近は特に見慣れた柔らかな笑みを浮かべる。
「だからこそ、の言うように私達は過去に向き合って、言いたかった事を言ってしまわなければならないのかもしれないな」
 その言葉を最後に、立ち上がったマジックはリビングを後にしながらの要望通り、F区の別荘の準備をさせるべく、各所に連絡を取り始めた。
後には腑に落ちない表情の男が3人、残されただけだった。