舞い降りたるは天使か、悪魔か・3

 ダンテが部屋から出て行くまで騒ぎ続けた女は、僅かに開かれた扉の隙間からの見張りがレディである事で安心したのか、黙々と身支度を整えデスクの引き出しを漁る。
急かすようにレディがノックすると、ジーンズに薄手のブラウスと言うラフな格好で戸口へと現れた。
「お待たせしました」
 淡々とした声音ながらもそこには緊張が宿り、それは自然と室内に充満する。
背後からレディに見張られ、階下からはダンテの鋭い視線を浴びながらも彼女は姿勢よく歩を進め、厳めしくも大きなデスクに歩み寄る。
 それにもダンテは顎をしゃくるだけでソファを指し示し、彼女がそれに大人しく従うと、軋みを上げる椅子を器用に回転させてテーブルを挟んだ正面へと移動する。
ダンテの一挙手一投足に注目していた女は、彼の動きが一段落したのを見てレディの位置も確認する。
「もう一度聞く。あんた、悪魔じゃないんだな?」
「違います。私は、日本人よ」
 瞬き一つ、呼吸一つ見落とさない様子で彼女―を観察しつつ問うダンテに、僅かばかりの苛立ちを見せながら名乗る。
「観光旅行にしちゃ、随分と大荷物だな?」
「旅行になんて、出た覚えないわ。私も、幾つか聞きたい事があるんですが」
「おいおい…。ここは俺のオフィスで、あんたは不法侵入者だぜ?」
「侵入した覚えがないから、現状を理解するために聞きたいんです」
 物わかりの悪い生徒に説明するように、一語一語をはっきりと発音する彼女の苛立ちは相当な物だろう。
「貴方達は誰で、あれは本物?」
 強い視線でダンテとレディを順に見やり、次いで壁に縫いとめられた生々しいオブジェを指し示す。
「俺はダンテ、便利屋だ。あっちがレディ。…で、あれが本物だとしたら?」
 窺うように、揶揄するように問うダンテは背後でレディが興味津々の体でを観察しているのを感じていた。
 まともな神経の人間はまず、悲鳴を上げる。
次いで恐慌状態に陥り逃げ出すか、気を失う。
それが世間一般の反応だ。
 だが、このは多少の嫌悪感は滲ませても恐れてはいない。
「あれが本物なら、ここは悪魔が救った世界?」
「…あぁ?そんな御伽噺、ガキでも知ってるだろ?」
「…私、どこに助けを求めたらいいの…」
 ダンテの返答にぐったりと項垂れ、眉間に籠る力を抜こうと指で揉み解す。
その様子は理不尽な状況に追い込まれた人間のそれのようだ。
「Mr.ダンテ、貴方の様子からして、人間を守った悪魔の伝説は一般的な物なんでしょうね。と言う事は、私、次元を超えた迷子と言う事になりそう」
 引き攣った笑みを浮かべながら言い切ったはいぶかしむ二人に肩を竦めて見せる。
「どこか、打ったの?」
「Miss.レディ、どこも打ってないわ。そうね…、昔話をしても?」
「長くなるのはお断りだ」
 レディの言葉も素早く否定すると、小さく首を傾げるようにして二人を見やり、ダンテにクツリと喉を鳴らす。
「私がいた世界には悪魔は宗教上、もしくは思想上にしか存在せず、それは天使も同様。魔界なんてない。そんな世界で、私と妹は10歳の頃から悪魔に育てられたの」
「…自分の話が酷い矛盾の上に成り立ってるって、分ってるの?」
「勿論。その悪魔は影だったわ。こちらの世界の存在で私達の世界では実体を持たず、私達姉妹以外に存在を認識する者はいなかった。でも、彼は確かにそこに居て話をしてくれて、抱きしめてもくれた。私達に生きる方法を教えてくれたの」
 懐かしむように紡ぐ声は優しく、瞳は穏やかに凪いでいる。
その声を聞きながらダンテは妙な郷愁を感じ、それを振り払おうと足掻いていた。
「優しくて厳しくて、ハンサムな悪魔だったわ。私達、彼が大好きだったの。その彼がこの世界の事を話してくれた。いつか、私達が彼の一番大切な者達に出会えるようにって。だから、私はこの世界を知っていた。でも、今回のコレは予想外。悪魔なら兎も角ただの人間が次元を超えられるなんて…びっくり」
 軽い調子で肩を竦める様子は驚いているようには微塵も見えず、逆に莫迦にされている気分になると、ダンテは常の自分の態度を忘却の彼方に投げ捨て、嘆息する。
「ちょっと待って。貴女を育てた悪魔って?」
「貴方達が言う所の、御伽噺の主人公。伝説の英雄。人間を愛した魔剣士。エヴァの夫。双子の父。銀色の優しい悪魔。もっと言いましょうか?」
「……いらねぇ」
 レディの問いに育ての親に当てはまる形容詞を列挙するに、ダンテが鋭い視線を更に鋭くし、言葉を遮る。
「その件に関してもう一つ。Mr、貴方が『ダンテ』だと言うのなら、『バージル』はどこ?スパーダは?」
「何故、俺に聞く?俺が知っているとでも?」
 矢継ぎ早に問うに、眉間に皺を寄せたダンテが問い、気だるげに銃のグリップを弄ぶ。
「貴方が『ダンテ』でその容姿で、赤の他人だって言われても誰が信じるものですか。私、毎日そっくりな顔を見て育ったのよ?」
「他人のそら似だろ?」
「本当に?バージルなんて知らないと言える?貴方と同じ混ざり気のない銀色の髪、貴方よりも僅かに濃いサファイアの瞳、恐らく身につけている物は青が多いはず。そして…」
 さらに続けようとするの額に、大口径の銃口が据えられる。
ガチリと重苦しい音を立てて撃鉄が起こされ、その向こうには酷く冴えた光を湛える薄氷色の眼。
「…何者だ?」
「…スパーダの養い子。双子の片割れ。小説家。異世界から来た迷子。…最後のはいらないわね。まるで三文小説みたいな設定だし」
 肩を竦めながら自分の言葉に失笑したは、向けられたままの銃口もそのままに、ダンテの胸元を指し示す。
正確には胸に下げられたアミュレットを。
「決定打はそのアミュレット。貴方達の誕生日にエヴァが半分にして2人に分けたんでしょう?だから、私達もそうしたの」
 誰も知る筈のない記憶、それを当然のようにその唇に乗せる不法侵入者にダンテは困惑し、それでも警戒を緩める事ができない。
「も〜、頑固だなぁ…。じゃあ、『In hope of a miracle to be able to meet you and(貴方達に出逢える奇跡を願って)』覚えは?」
「…ねぇな」
「本当に?誕生日プレゼントだった筈だわ。交わらない筈の世界にいる双子の姉達からの贈り物よ」
 貫くように据えられた茶色の瞳と記憶を探るように彷徨う薄氷色の眼。
その二人の様子を沈黙を守ったまま見つめるレディの金銀妖瞳。
それらが交差するよりも早く、ダンテの口から呻きにも似た声が滑り落ちる。
「…昔、親父が持ってきた絵本。赤の装丁と青の装丁。俺達の為に書かれた本。と、からの、プレゼント…」
「よくできました!」
「どういう、事よ…?」
 ダンテの呆然とした声とレンの嬉々とした声、そしてレディの訝しげな声。
「さぁ…?スパーダに聞けば、解るんじゃない?」