夢の続き 舞い降りたるは天使か、悪魔か4

「無理だな。スパーダは、いない」
「いない?」
 レディに悪戯が成功した子供のような笑みを見せていたは、ダンテの呆然とした、覇気のない声を鸚鵡返しに首を傾げる。
「俺達がガキの頃に行方不明になって、それっきりだ。生きているのかどうかも怪しいがな」
「そんな、バカなこと…」
 呆然と、稚い子供のように呆然と呟くに、ダンテが諦めたように嘆息し、その視線を真直ぐに据える。
「嘘よ。だって、私達、彼に逢ってるわ。3日前よ?!バージルとダンテが…」
 そこまで口の中で呟き、次いで愕然とした表情でダンテを見つめる。
逸らされる事のない、濁りのない薄氷色の瞳。
「ダンテ…、貴方、どうして大人なの?半魔だから、とかそんな話じゃ、ないわよね?」
「俺からも聞きたいね。お前がだと言うなら、やっぱり人間じゃないんだろう?」
 会話に齟齬が生まれる。噛み合わない。
それがお互いに歯痒く、共に眉間に皺を刻む。
 睨みあうようにして見合う2人の間に落とされたのは、深い深い嘆息。
「ぜんっぜん、解らないわ。もう、お互いに腹を割って話してみたら?」
 言って2人に背を向けたレディは手を振りながら戸を潜る。
一旦、その姿を陽光の中に溶け込ませ、再び顔を覗かせると、色違いの瞳を輝かせながら、にウィンクを一つ送り再び、今度こそ姿を消した。
「…不思議な、人ね」
「まぁな…。んなことより、アンタの事だ。アンタは、何者だ?」
「さっき言った以上の事なんてないわ。子供の頃はスパーダは毎日顔を見せてくれてたけど、私達が大人になるにつれてその回数は減った。で、最後に会ったのが3日前。双子のバースデーの話を聞いたのよ」
 嘆息交じりにソファに背を預け、シミの浮いた天井を見上げる。
僅かにきしむ音を立てるファンに視線をやり、再び正面に戻すと相変わらず訝しげに顰められた薄氷色と出会う。
「スパーダがエヴァに贈ったアミュレットを彼女が二つに分けてバージルとダンテに渡したって事と、私達の本を2人が喜んでくれた事。バージルはすっかり没頭して読んでる事、ダンテは挿絵がお気に入りな事。そんな他愛ない話をね、してくれたの」
 彼女の話す内容はそのままダンテの記憶にある。
幼かったあの日、両親がいて自分と双子の片割れも揃っていた。
幸せだったあの日、確かに自分達は父から本を貰った。
父がよく話していた異なる世界にいる父の養い子達からの贈り物。
双子の姉妹で姉は小説家を生業とし、妹は画家として生計を立てている、と。
自分達は会う事は叶わないが、それでも2人は彼女達を『姉達』と呼んでいた。
彼女達が自分達を『弟達』と呼んでいると聞いていたからだ。
「なら、どういう事だ?東洋人は若く見えるって言うが、アンタはどう見積もっても20代前半だぜ?」
 そうなのだ。
が父の言う双子の姉達ならば、自分より10歳は上でなければ可笑しい。
だが、この目の前の女は明らかに若い。
多く見積もっても24〜5でしかない。
「それを言うなら私もよ?7歳の誕生日を迎えたばかりにしては、随分と大きく成長したんじゃない?」
 その台詞にダンテの眉間にますます皺が寄る。
いつの話だ?!と叫びたい。
「意味、わかんねぇ…」
「ほんと。でも、そうね。作家らしく想像の翼を羽ばたかせるなら、『何らかの理由で次元を移動する際に時間まで移動した』って言う説も成り立つかな?」
「…ありなのかよ」
 激しい脱力感がダンテを襲う。
何なのだろう?このと言う女は?
彼女が真実、父から聞かされた姉の1人ならば、想像していた人物像と激しく乖離している。
もっと大人で柔和な人物を想像していた。
飛躍しすぎる思考は小説家ならではだとでも言うのだろうか?
「ダンテ?大丈夫?」
 一瞬の思考は中断され、曖昧な表情で自分を覗き込む黒い瞳を見つめる。
そこに偽りは見えない。
「ああ…。で?」
「で?」
 先を促すダンテの言葉じりを捕え、かくんと首を傾げる様は年よりも幼い子供を思わせる。
「これからどうするんだ?アンタがだとして、別の世界なんて帰れるのか?」
「解らないけれど…、鍵はスパーダしかないと思うの」
 そんな事は考えるまでも無い。
影だけとは言え、自在に異なる世界を行き来していたなんて、御伽噺めいた事をしていたのだ、何かを知っている可能性は大きい。
だが、肝心のスパーダはここにいはいない。
 それを言えば、は考え込んだ表情で俯き、ブツブツと何事かを口の中で呟き始める。
その様を見詰めながら、ダンテは記憶の奥底に沈めた姉達に関する父の言葉を掘り起こす。
曰く「は思考の海に沈むと周囲の雑音の全てを遮断し、その脳内は高速回転を始める。自分で結論を導き出し、帰還するのを気長に待つしかない」と言っていた筈だ。
つまり、今の彼女にどんな言葉をかけようとも、例えここに悪魔の襲撃があろうとその全てを黙殺されるのだろう。
 諦めの嘆息と共に立ち上がった彼は、乱雑に散らかったキッチンに足を運び、唸りを上げる冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しそのまま煽ると、それを手にしたまま元の、レンが熟考を続ける正面に来て、彼女が現実世界へと帰還するのを待つ態勢を取る。
 思いの外、その期間は早く、虚空を彷徨っていた茶色の瞳が再び焦点を結び、ダンテの薄氷色の眼を捉える。
「ダンテ、ポルティナーリ城を知っている?」
 が上げた城の名に、ダンテは僅かに眉を上下させただけだったが、胸中は穏やかではない。
それは父が嘗て一時を過ごした城であり、今は…。
「…それが?」
「私をそこへ連れて行って」
「冗談だろ?あそこに何の意味があるって言うんだ?あそこは、…廃墟だ」
 一瞬、言い淀んだダンテには薄く笑い、その心の内まで見透かそうとするかのように薄氷色の眼を覗き込む。
「意味があるのかないのか、それは私が判断するわ。これは、依頼。貴方、便利屋なんでしょう?」
 だから私をそこへ連れて行きなさい。
姉が弟に命じるように告げられた言葉に、ダンテは諦めたように嘆息し、銀の髪を乱暴に掻き上げるしか無かった。